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朝起きて、山へ仕掛けてあるわなを見廻りに行って、風呂に入り、地域の体操教室へ行き、夕方からは作業(絵を描く)をしました。一昨日には大雪が降り当たりは雪で真っ白です。お腹が減ったので家の裏で先日獲ったいのししと、釣ってきたイワナを焼いて食べました。野菜不足です。秋に収穫した白菜はほぼ食べきり、キャベツは雪に埋まっています。そろそろ畑の準備をしないといけないのですが、やたらと雪が降り春が遠く、やきもきしつつも腰の重い僕には言い訳が用意されていて少しホッとしています。築何年かもわからない家を買い、床がゆるゆるで、見ればわかるほどに傾いています。お金もないので自分で直そうと思い畳と床板を剥いだことにより一部屋使えなくなっており、溢れ出た荷物の隙間で寝ています。生きることは食うことだと思いイノシシを獲り、魚を釣り、野菜を育て、今日の昼にはプリンを作って食べました。肥えていく身体とは裏腹に、なんだかひどくアンバランスな生活だなと感じつつもこの家は僕の家だなと思いながら、今はストーブの前に座っています。

歩道橋

家から一番近い交差点に架かっていた歩道橋が撤去されました。今は横断歩道を新たに作るための準備がされています。ずっとここに歩道橋じゃなくて横断歩道があったら便利になるだろうなと思っていました。でも、とても不便であまり使っている人も見ない歩道橋からは、とてもきれいな夕焼けがみえました。 見えないこと、ものはいっぱいあって、今歩いてきた通りだって今とは変わっています。昨日あったものが今日にはないことだってあるし、さっきあったものが今あるとも限りません。大きな爆発でもあれば、振り返っていたかもしれませんが、爆発したところにそれはもうなくて、なにがなくなったかにも気づかないまま日常は続きます。それは自分の視界の外であることも多々あって、それは戦争や紛争のような大きなことかもしれないし、もっと個人的なもかもしれません。ふと見ると生垣の下にフキが生えていて、先日は蕗の薹の苦味が味わえました。他国に侵攻した国があって、視界の外では誰にも気付かれない悲しみがあるかもしれません。横断歩道ならもっと便利だろうなと思う自分もあって、歩道橋から見た夕焼けを綺麗だったと懐かしむ自分もいます。気付かずに通り過ぎたものはいっぱいあって、見ないことにしたり見捨てたりすることもあります。基準が自分でなければいいのにと思うことは多々ありますが、それはとても難しいです。とても難しくて今の僕にはできません。だから、せめて全部が自分の延長で、自分の中にあって、ずっとその悦びや悲しみと一緒に毎日を過ごせたらと思います。
 あけましておめでとうございます。今年は至らなかった昨年の自分を反省しながら暮らせたらと思います。一年間どうぞよろしくお願い致します。

カカシ先生

最近は、絵描きの市村柚芽さんに勧められて見たナルトをまた見ています。それぞれちゃんと自分のやるべきことをやってて偉いなと思います。ぼくは強い雰囲気を出しながらいつも半殺しにされて終いには死ぬ(生き返る)カカシ先生が好きです。 先日まで高円寺にありますえほんやるすばんばんするかいしゃさんで、「石膏画」を中心に今まで描いた絵を展示していただきました。これは僕の個展ではなくあくまで店主の荒木さんの展示だったので、僕は一切手伝いもしなかったのですが、自分の手から離れたことで、思うことがあったりなかったり。石膏画を描いたのは自分が今まで描いてきた絵への疑問が少しでも解消したらいいなという思いからでした。他人の手、意思で飾られた絵はとても素敵で、僕はやっぱりぼくの絵が好きだなと思ったと同時にまた絵に対して余計な負担を背負わせてしまったなと。絵は言葉じゃないし、なにかを媒介するものでもなくて、でもその向こうに誰かをみてしまっていたなと。絵は絵としてあってほしいし、やっぱり自分で描いた絵には元気に暮らしてほしいです。僕の勝手で描かれるからには僕には責任があるし、元気に暮らしていけるように出来るだけのことをしなければいけないなと思います。僕は絵を近くに感じたことがなくて、ずっと遠くにいる存在です。もう少し近くに感じられたらいいなと思いますが、まだちょっと時間がかかるかもしれません。だからもっと絵との関係をちゃんと結べるよう、やるべきことをやって、半殺しにもなるのかなと思うと憂鬱ですが、うまくやっていけたらなと思います。

三大泣きっ面に蜂

大学卒業後上京して、半年くらいアルバイトが見つからなくて、なんとか採用してもらったのがスーパーの惣菜コーナーの調理でした。そこはもうベテランたちで空気が出来上がっていて、23歳にもなって人見知りをやっている僕が入る余地はありませんでした。朝から黙々と餃子を包み続け誰とも喋らずに退社という毎日でした。その日も同じような一日をやり過ごし、もうやってらんないなと思った僕は一人飲みに行くことにしました。なんとかボソボソと注文をし、料理を食べビールを飲んでいたのですが、追加注文の際のあんちゃんの「はい?」で心は折れました。もうドキドキしてとにかくさっさとここを出ようと思い机の上のものを平げお金を払い外へ出ました。俯いて歩いているところにやって来たのは溺れるほどの豪雨で情けないやらなんやらで泣いても誰も気づかないので泣きながら帰りました。今なら小便でもしながら歩きますが、その頃のぼくには出来ませんでした。あとの二つの話は忘れました。

展示巡り

 ちょっと興味がある展示があったので出かけました。阿佐ヶ谷と高円寺のギャラリーで、一駅移動で見られるのでお得だなと思ってまず阿佐ヶ谷のギャラリーへ行くことにしました。駅から15分くらい歩いた坂の上にあって、なんとかたどり着きました。住宅街の中にひっそり佇むギャラリーで、こんなとこあったんだななどと思いそこを後にして一駅移動して高円寺へ。駅からまたしばらく歩いて角を曲がるとなんだか見覚えのある通りで、その先には坂が。その時点でなんとなく気づいていたのですが、素知らぬふりをして坂を登ると目当てのギャラリーがありました。そして通りの反対側を見るとさっきのギャラリーが。結局、高円寺寄りの阿佐ヶ谷にあるギャラリーと、阿佐ヶ谷寄りにある高円寺のギャラリーという塩梅で、住所自体は別地域なのですが、実はほぼ同じところにある目的地を丁寧に電車移動して訪ねていたという碌でもない夢でした。

昔話

最近は少し読書をしてみています。色々と読んでみたのですが、今は婆さんが語った昔話を読んでいます。面白いのかはよくわからないのですが、婆さんの話を聞いているようで楽しく読めています。本に限らず、映画でもテレビでも見ていたはずがいつの間にか違うことを考えているということが多々あるのですが、誰かが話しているのをただ聞くというのは昔から好きで、母親の井戸端会議なんかもよく聞いていました。それも小さい頃でしたのでなんの話かはよく分かってなかったと思いますし、覚えておくような話もしていなかったのではないかとも思うのですが、そんな中で一つ、男性も母乳が出るらしいという話だけはよく覚えています。最近は牛乳を飲むから男性も母乳が出るらしいとい眉唾話なのですが、そんなことがあるのかと興味が湧いた僕はこそっと、自分の乳を搾ってみました。すると、信じられないことでしたが確かに一滴母乳が出て、幼い僕はこれが夢だったらいいのになと思ったという昔話でした。